海水・陸水中の硝酸の三酸素同位体組成定量法の開発と応用

Triple Oxygen Isotopic Compositions of Nitrate in Natural Waters

北海道大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻

大久保 智

Satoru B. Ohkubo

 

近年、人間活動によって窒素酸化物の大気への排出量が急激に増加している。大気中の窒素酸化物は数日程度の寿命で、オゾンとの光化学反応によって硝酸となって大気から除去され、水圏へと沈着する。水圏中の硝酸態窒素は植物プランクトンによる一次生産の必須元素であると同時に制限元素となっていることも多く、その増加は水圏の生物相に対して大きな影響を及ぼす可能性がある。しかし、水圏に存在する硝酸には窒素酸化物由来だけでなく、有機体窒素の酸化分解で生じる硝化由来の硝酸も多く存在する。さらに、植物プランクトンによる同化や微生物による脱窒といった消滅過程もある。水圏中の硝酸の挙動は極めて複雑であり、仮に水圏の硝酸濃度が増加したとしても、その原因を大気由来硝酸の増加によるものと断定することは極めて難しい。

 そこで、本研究は硝酸の三酸素安定同位体組成に着目し、硝酸の三酸素同位体組成定量法の開発を行なった。酸素には三つの安定同位体が存在し(16O17O18O)、地球上のほとんどの主要酸素原子リザーバーの間では、その酸素安定同位体比(δ17Oδ18O)に、δ17O = 0.52δ18Oという相対関係が成り立っている。しかし、オゾンなど一部の光化学反応生成物だけはこの関係から大きく逸脱した値を示し、δ17O = 0.52δ18Oからの差分であるΔ17O = δ17O - 0.52δ18O0にならない。大気由来の硝酸はオゾンからO原子を受け取るためΔ17O ≠ 0であり、実測値で+20 - +30‰と報告されている(Michalski et al., 2003)。一方、硝化由来の硝酸は、水圏中の酸素分子と水から酸素原子を受け取るだけで、オゾンは関与しないのでΔ17O = 0である。このΔ17O値の違いを利用して、大気硝酸の水圏への沈着量を定量化することができる。

 本研究で開発した定量法では、まずMcIlvin and Altabet (2005)の手法を用いて硝酸を亜酸化窒素化する。その後、この亜酸化窒素をガスクロマトグラフを用いて精製した上で熱分解炉(800)を用いて窒素分子と酸素分子に分解する。そして生成した酸素をコンティニュアス・フロー型質量分析システムに導入し、酸素安定同位体比(δ17Oδ18OΔ17O)を測定する。この分析法を用いることによってΔ17O値を定量するために必要な硝酸量は20nmol、一回測定時の精度(1s)0.3‰であり、高感度かつ高精度測定が実現する。必要試料量はMichalski et al. (2002)の方法の1/1000程度となり、不可能であった海水中の硝酸のΔ17O値も定量可能になった。さらに測定システムの半自動化により、測定が簡便になった。

本分析法を用いて表層海水中および陸水中の硝酸のΔ17O値を定量したところ、外洋海水が+1‰程度、摩周湖が+3‰程度のΔ17O値を持つことが明らかになった。この結果をもとに、各域の大気由来の硝酸の寄与率を求め、さらにこれをもとに各域の大気硝酸の沈着フラックス量を見積もった。