有機体窒素の高感度窒素同位体組成定量法の開発と

窒素固定速度定量への応用


北海道大学大学院理学院自然史科学専攻 地球惑星システム科学講座 地球化学グループ

木戸唯介


【研究背景】

海洋の窒素循環は生物生産や炭素循環に深く関わっており、その定量化や時間変化の解明は非常に重要な課題である。代表的な窒素栄養塩である硝酸イオン(NO3-)の供給が乏しい亜熱帯海域の表層海水中では、一部の生物によって窒素固定(大気N2を生物一般が利用できる非N2形窒素化合物に変換する反応)が 進行していると考えられており、各海域の窒素固定速度の時間的・空間的変動を定量することが求められている。特に近年、これまで窒素固定を行なう生物とし て考慮されていなかった微小な単細胞藍藻類が海洋の窒素固定担体として大きな割合を占めている可能性が高いことがわかってきており、定量法を含めて従来の 見積もり値の見直しが必要である。

海洋の窒素固定速度は窒素固定生物(実際には窒素固定生物がその一部を構成する海水中の粒子状有機態窒素(PON))15N2雰囲気下で培養し、そのd15N値の変化速度から見積もるのが一般的である。しかし従来の分析法ではPONを大気の主成分であるN2に変換してd15N値定量を行っていたため(1)、ブランク値が高く、測定に多量のPONを必要とした。

PON NOX N2 IRMS    (1)

例えば、亜熱帯海域の窒素固定速度を定量するには各数L以上の海水を培養する必要があるため、深度分布や水平分布の定量が困難であった。そこで、本研究では窒素固定速度の定量に必要な海水試料量を少量化することを目的に、より高感度でPONd15N値を定量する方法を開発した。また本手法を用いて西部北太平洋、およびその周辺海域で窒素固定速度を実測した。

【分析法の開発】

PONの定量的N2O化と、N2Oの連続フロー型質量分析の組み合わせに基づく、新しいd15NPON値定量法の開発を行った。PONを従来のN2化ではなくN2O化することによってブランク値が低くなり、より高感度のd15N値定量が期待できる。                       

PONN2O化は、湿式酸化によるNO3-化およびCd還元によるNO2-化とN3H試薬によるN2O化を組み合わせることにより行なった(2)。その結果、PONN2O変換率は80-90%で元の化合物によらず、一定の割合で定量的にN2O化することに成功した。

PON NO3- NO2- N2O IRMS  (2)

従来法によってd15N値を決めた試料を用いて精度、確度を決定した。その結果、新手法を用いて0.3‰以下の精度で定量するために必要なPON試料量は約50nmolNであり、従来法に比べて1桁以上感度を向上させることが出来た。これは亜熱帯などの貧栄養海域でも必要培養海水量が500mL程度になったことに相当する。

【結果・考察】

 本手法を用いて西部北太平洋亜熱帯海域、東シナ海、オホーツク海のPON濃度、d15NPON値、および窒素固定速度を定量した。

培養試料量が従来よりも1桁以上少ない利点を活かし窒素固定速度の深度分布や経時変化をきめ細かく定量した。分析の結果、日本近海で初めて窒素固定速度の深度分布や日周変化が明らかになった(1)。西部北太平洋亜熱帯海域では窒素固定は水深540mで極大となる一方、水深80m以深ではほぼゼロとなることがわかった。また西部北太平洋亜熱帯海域、および東シナ海における単位面積辺りの平均窒素固定速度は43.3±30mmolNm-2d-1でありハワイ沖における報告値45±13mmolN m-2d-1(Montoya et al.,2002)と同程度であることが明らかになった。

さらに窒素固定速度と試料採取時のd15NPON値の間には逆相関が見られた。これは窒素固定が盛んに行なわれる水塊中ではd15NPON値が大気N2の同位体比(0)に近づくためであると考えられる。d15NPON値のこの特徴を利用することで堆積物中のd15NPON値から古環境の窒素固定速度を復元できる可能性があると考えられる。

図1 西部北太平洋亜熱帯海域における各試料採取地点と本研究で実測した窒素固定速度の深度分布