外洋海水中で生成する非メタン炭化水素類の起源について

地球化学グループ 古用啓介

 

 非メタン炭化水素(NMHCs)は大気中においてOHラジカルと非常に高い反応性を持っており、オゾン生成、エアロゾル生成、大気酸化能低下などを引き起こす物質として知られている。NMHCsの放出源としては工場排ガス等の人為起源のもの以外に、生物などの自然起源のものが相当量を占める。中でも海洋では微量栄養物質(鉄)の添加によって発生した植物プランクトンブルーム中で平常時の320倍に濃度が増加するなど、環境の変化に伴ってNMHCsの放出量が大きく変化することが知られている。将来、あるいは過去の海洋からの各NMHCsの放出量を見積もるには、海洋内部における生成過程を明らかにする必要がある。海洋内部におけるNMHCsの生成過程としては、珪藻などの植物プランクトンからの直接放出以外に短寿命の溶存有機物の光分解生成が想定されているが、その量比は明らかになっていない。そこで本研究では炭素安定同位体比(δ13C)を指標に用いて海洋におけるNMHCsの生成プロセスの解明、特に植物プランクトンの直接放出と溶存有機物の光分解による生成の量比の定量化を試みた。

低緯度海域(東シナ海・太平洋亜熱帯域)と高緯度海域(日本海・北極海)において、海水中溶存NMHCsの濃度及びδ13C値の定量を行った。また、北太平洋亜熱帯域と日本海のそれぞれの海域においてプランクトン培養実験、及び海水への紫外線照射実験を行い、系内の溶存NMHCsの濃度及びδ13C値の時間変化から、植物プランクトン由来の各NMHCsのδ13C値と溶存有機物の光分解由来の各NMHCsδ13C値を定量化した。

その結果、低緯度海域ではC2H4について、また高緯度海域においてはC2H4C2H6の両方について、植物プランクトン由来のδ13C値と光分解由来のδ13C値が決定できた。C2H4についてはどちらの海域においても植物プランクトン由来、光分解由来のδ13C値の差が小さいため、δ13C値からC2H4の起源を明らかにすることが出来なかった。一方、C2H6は植物プランクトン由来のδ13C値と光分解由来のδ13C値の差が30‰前後ときわめて大きかったため、高緯度海域の各測点において、植物プランクトン由来と光分解由来のNMHCsの量比を求める事に成功した。その結果、北極海ではC2H6の大部分が植物プランクトンの直接放出であるのに対し、日本海は2/3以上が光分解由来であることが分かった。さらに単位クロロフィル濃度あたりの植物プランクトン由来のC2H6生成量が一定であるとして、この量比と各測点におけるクロロフィル濃度の実測値を用いて各測点における海水からのC2H6生成速度の相対値を計算したところ、実測によって求められた過飽和度と良い相関が得られた。また海域ごとに植物プランクトン由来のC2H6生成速度には大きな差はなく、光分解由来の寄与率が大きくなることが過飽和度の大きくなる主要因であることが分かった。